第2回特別講演会要約 ― 石破茂 衆院議員「なぜ今、核なのか―核兵器と日本の安全保障―」 ― 

 日本外交政策学会では、6月19日、衆議院議員の石破茂先生(元防衛大臣)にお越しいただき、「なぜ今、核なのか―核兵器と日本の安全保障―」というタイトルで “核問題”を様々な視点から語っていただきました。

 特に、長期化するウクライナ戦争において、プーチン政権が核を使うのではないかという懸念があります。また我が国は、ロシア、中国、北朝鮮という3つの核保有国に囲まれています。台湾危機などが起こった場合に、アメリカの“核の傘”が“破れ傘”になるのではないかという懸念から、最近では日本国内でも「日本核武装論」やNATOのように「核シェアー」すべきだという議論が出始めました。

 このような色々な問題を石破先生は分かりやすく丁寧に語っていただき、会場に集まった会員のみなさんからも活発な意見が飛び交い、会場は熱気につつまれてました。本号では、石破先生の講演会の要約をお届けいたします。なお講演の動画はオンラインにて有料配信する予定です。

【衆議院議員 石破茂氏発言】 
 米国が核を保有したら、ソ連も負けじと核保有国になった。今度はソ連が人工衛星を打ち上げたら、米も慌てて人工衛星を開発した。米が原潜を持てば、ソ連も空母を持ち、米が核ミサイルを持てば、ソ連も持った。東西二大国の軍事力は常に均衡で、冷戦時代は戦争は起こらなかった。核抑止力は経験則として正しいし、それが「バランス・オブ・パワー」の原則だ。

 米のロナルド・レーガンがスターウォーズ計画を打ち出し、ソ連も対抗しようとしたが、お金がついていかなかった。ペレストロイカ、グラスノチと政治改革の波も押し寄せ、ある日突然、ソ連はあっけなく倒れ、米の一国優位体制ができた。

 社会党の土井たか子さんが「これで世界は平和になる」と言ったが、わたしは「とんでもない」と否定した。「米ソの軍事力の均衡が崩れたら、領土、宗教、民族、政治体制と、さまざまな戦争の素が顕在化し、世界は大戦争の時代に突入する」と。その予言を裏づけるかのように、湾岸戦争、コソボ紛争、イラク戦争が相次いで起きた。

 ウクライナ戦争もその延長線上にある。ソ連崩壊後、ウクライナにはソ連保有の核が残り、世界第3位の核保有国になったが、ブタペスト覚書に従い、核を放棄した。ウクライナが核を持ち続けていれば、ロシアに攻め込まれることはなかっただろう。北朝鮮の北正恩はウクライナ戦争を見て、「絶対に核は手放すべきではない」と心に誓ったはずだ。

 広島サミットは「核なき世界」をアピールし、成功を収めたと言われている。だが、 「核なき世界」と「核戦争なき世界」はまったく違う概念だ。「核なき世界」が平和になるとは思わない。パラドックスのような言い方になるが、「核戦争なき世界をつくるために核を持つ」のだ。

 「日本の技術力があれば、核兵器は1年で作れる」という人がいるが、原発の技術と核兵器の技術はまったく別物で、10年はかかる。仮に作ったとしても実験はどこでやるのか。米もソ連も中国も砂漠を持っていた。英は豪州の西で実験したし、仏はムルロア環礁があった。日本は実験の場所がない。

 憲法は日本が核を持つことを禁じてはいない。しかし、わが国が核を持って抑止力が生まれるかという本質を考えなければならない。中国は現時点で500発の核弾頭を持っている。10年後には1000発に増えるだろう。そんな中、日本が50発、100発持ったところで抑止力として機能するとは思えず、日本が独自に核を持つ意味はない。

 そこで浮上するのがニュークリアシェアリングだ。NATO加盟国の中で、非核保有国の独、伊、ベルギーは米の核のシェアを受け、地下に格納している。核兵器の所有権と管理権はあくまで米にあるが、各国は米と「核をいつ使うのか」あるいは「いつ使わないのか」の意思疎通を常に図っている。

 重要なのは、核兵器そのものをシェアすることより、核を使う意思決定のプロセスをシェアすることだ。それが核シェアの本質と言える。「核の傘」と言うが、「傘はどれぐらい大きいのか」「どんな時に差すのか」「どんな時に畳むのか」「傘に穴は開いていないか」と、シェアする国とシェアを受ける国の双方で不断に検証しなればならない。意思決定のプロセスをシェアすることで、今よりはるかに効果的な抑止力になる。

 ミサイル防衛は完璧ではない。迎撃弾の撃ち漏らしは必ずある。敵基地攻撃能力と同様に議論すべきなのは、核シェルターのことだ。日本の整備率は0.02%しかない。ソウルは300%だ。ソウル市民の3倍分収容できる。フィンランド、スウェーデンも80~90%に上る。

 「拒否的抑止力」とは「日本に核ミサイルを撃てるものなら撃ってみな。しかし、日本人は1人も死なない」というものだ。これも立派な抑止力ではないか。国民を守ることを真剣に考えないと、この国はやがて報いを受ける。

 核抑止を確実なものにするために何ができるか。「核なき世界」は理想だが、理想ばかりを追って国民みんなが死んだらどうなる。当面目指すべきは「核戦争なき世界」ではないのか。そのために何をしなければならないのかを論じる国会でありたい。国民に選挙で真を問うというのはそういうことだ。「核抑止のためにいくらお金がかかる」ということを納税者に提示して、審判を仰ぐ政治家でありたい。